「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」 より引用
©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会
いつだって頭をよぎるよ
やってもダメかもって 叶わないかもって
こんなに練習して結果が出なかったらどうしようって
でも、私は頑張れば何かがあるって信じてる
それはぜっったい無駄じゃない
「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」 黄前久美子
©武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会
勉強でも、部活でも、仕事でも、人間関係でも、恋愛でも、スポーツでも、家庭でも。
このように葛藤した事が誰しもあるのではないでしょうか。
私たちが住んでいるこの世は先の事がわからない世界です。これをすれば大丈夫っていうのは本でもネットでも他人からでも聞きますが、それは絶対ではありません。
人それぞれ、環境も、時代も、状況も、性格も、能力も、興味も、弱点も、長所も違うのですからそれをやったら絶対にうまくいくなんて方法はありません。あるなら私たちはこんなに苦労していませんよね。
ですが、一つ確かなことがあります。私たちが幸せを感じるためには
- 望みを抱いて
- 希望を持ち
- 勇気を持って
- 報われると信じて
- 行動する 必要があります
キリストの教えではこの一連の行動を”信仰”と言います。日本では”信仰”とは特定の宗教の教えを信じるような意味で使いますが、本来の意味は違います。私たちは日常生活でいつも信仰を使って生活しているんです。
信仰を使う時に、常に私たちは恐れにさらされます。望む時に恐れが現れます。小さい子供だった時私たちは望むことになんの躊躇もありませんが、大人はたくさんの挫折や期待外れを経験してきているので、最初のこの時点から恐れを感じます。望んだって傷付くだけだと思うようになります。
前例のない事を人は恐れてやりたがりません。特に日本人はその気質が強い気がします。前例のない事がこの世を前進させてきたのに、私たちのほとんどは他に自分と同じ状況を乗り越えた人がいないと無理だと思ってしまうのです。
前例のない事なんだから、どこにも正解がないのは当たり前ですよね。
頑張る時にいろんな反対の声も聞こえます。君の能力では無理だ。君の年齢では無理だ。君の性格では無理だ。君のルックスでは無理だ。君は足りなすぎる。遅すぎる。もっと現実的に考えなさい。
でも私たちには望みを持ち、信じて、行動する事が必要なんです。
私たちは”常識”という思い込みに支配されています。こうでなければならない、これはしてはいけないのような思い込みです。もちろん人間関係をスムーズにするために常識は必要ですが、ただ常識だからといって気持ちもこもっていないのにやってることありませんか?もしくは常識だからと理由をつけてやっていないことがありませんか?諦めていることありませんか?
正直、私は現実的と望みを持つことの正しいバランスはわかりません。非現実的な計画で猪突猛進するのは良くないかもしれません。ですが、望みを持たないこともよくありません。
ならば、まずは望みを持つ方が私はいいと思います。
私も行動することがとても恐いです。恐れに屈せずに信仰を使い日々行い続けてきた人は恐れを乗り越えるのが容易になっているでしょう。よく人が言いますが、人類は2種類に分けられると言うのであれば私は「信仰を使っている人と、信仰を使っていない人」に分けられると思います。
今日の名言はアニメ映画「劇場版 響け!ユーフォニアムの劇場版〜誓いのフィナーレ〜」での主人公のセリフです。このアニメは高校の吹奏楽部の話です。シリーズもので、誓いのフォナーレは現時点で最新の作品であり主人公が高校2年生のお話です。
主人公、久美子の後輩1年生が過去の頑張ったけど酷い目にあった経験がトラウマになり、頑張っても意味がないという気持ちになっています。そこで久美子も同じように葛藤した事があるので後輩が逃げる中走り追いかけてこの名言の言葉を叫びます。
きっと全ての人が思ってること。やってみてもできないんじゃないだろうか。頑張っても結果が出なかったらどうするんだ。期待して努力して望みが叶わなかったら自分は壊れてしまいそうで恐い。
恐れを感じることで、多くことを私たちは諦めてしまうのではないでしょうか。
私はたくさんのことを頑張りました。結果が出ないことがたくさんありました。そして頑張る時に本当に辛いので頑張ることをしなくなってしまいました。
でも、恐れて行動しないことは幸せには繋がらないんですよね。恐れに屈して決断した行動はどれも後悔に繋がります。
頑張っても、骨折り損でただ疲れる可能性だってあります。でもそれが人生の大切な経験なのではないでしょうか。
その先には何かあるはずです。望んだ目標か、経験か、達成感か、やりきった感か。
私がこのアニメが好きなのは部活の時の雰囲気を思い出せて情熱が蘇るからです。純粋に望み、努力する気持ちを思い出すからです。何歳だろうが、この純粋に求める気持ちは必要だと思います。大人になったから現実を見て無理しないっていうのは、一見正しそうで実は大したことないと思います。
私は高校で演劇部に所属していましたが、本当に青春していました。アニメのような時間でした。それでも悔いは沢山あります。もっとこうできたらなって思うことが。
このアニメは人間関係の微妙な感じもよく描いています。それが素晴らしく共感できます。人間関係というのは純粋であるほど葛藤するものだと思います。それについて葛藤するのはとても良いことです。諦めないでください。私はよく逃げてしまったことがたくさんありますが、久美子は諦めたくない相手には近付こうとします。
このアニメの話の中では個性的な性格も受け入れられて良い方向に向かっているけど、現実ではこううまくはいかないかもしれないですね。理解できない人のことはめんどくさがられることが残念ながら現実ではあります。どちらかが、自分を出すのを抑えるか関係を深くしないことが多いです。ですが、全ての関係をそれで済ますのは恐らくつまらないでしょう。相手も歩み寄ろうとしている私を受け入れることが必要で、私も素直な気持ちを言う勇気が必要ですね。
めんどくさい奴もいる、その個性もいい!排除する必要はない。それぞれの個性があるから面白いのです。みんな個性があっていい良いんです!バラバラで良いんです!
29歳にしてやっとここまで気付けました。29でまだここかよ!笑
遅いのかもしれないし、遅くないのかもしれないし、どうなのかなー。まだまだ人生は長いな。
誓いのフィナーレぜひ見てください!最後のエンディングの歌で私は鳥肌が立ちました。素晴らしい余韻に浸りましたよ。
頑張ること、やりきること、頑張った先に何もないこともある。けど、いいよね!
「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」 より引用
結論:諦めることを諦める。頑張るのはエネルギーがいる。でも後悔はない。
ぜひコメント欄にでも誓いのフィナーレの感想を教えてください!素晴らしい、泣いた、怒った、寝た、つまらなかった、久美子が可愛すぎて死んだなどなど。↓↓↓